映像の、映像による、映像のための賛歌:『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

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クエンティン・タランティーノの9作目となる長編監督作。レオナルド・ディカプリオブラッド・ピットという2大スターを初共演させ、落ち目の俳優とそのスタントマンの2人の友情と絆を軸に、1969年ハリウッド黄金時代の光と闇を描いた。テレビ俳優として人気のピークを過ぎ、映画スターへの転身を目指すリック・ダルトンと、リックを支える付き人でスタントマンのクリス・ブース。目まぐるしく変化するエンタテインメント業界で生き抜くことに神経をすり減らすリックと、対照的にいつも自分らしさを失わないクリフだったが、2人は固い友情で結ばれていた。そんなある日、リックの暮らす家の隣に、時代の寵児ロマン・ポランスキー監督と、その妻で新進女優のシャロン・テートが引っ越してくる。今まさに光り輝いているポランスキー夫妻を目の当たりにしたリックは、自分も俳優として再び輝くため、イタリアでマカロニ・ウエスタン映画に出演することを決意する。やがて1969年8月9日、彼らの人生を巻き込み映画史を塗り替える事件が発生する。
2019年製作/161分/PG12/アメリ
原題:Once Upon a Time in Hollywood
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

 出典元:ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド : 作品情報 - 映画.com

 


Roy Head And The Traits - Treat Her Right (Once Upon A Time In Hollywood Soundtrack)

 映像はときに奇跡を起こす。リアリティやストーリーといった狭苦しい制約を脱却し、映像それ自体が語りはじめ、歌いだす。そしてまさに、それこそが映像を旨とするメディアとしての映画本来の愉しみなのだ。本作はそういった、映像と、そして映画の力を信じて疑わなかったひとりの男、クエンティン・タランティーノが、かつてないほどの奇跡を起こしてみせた大傑作である。

 舞台は1969年のハリウッド。1969年と言えば、ニクソンが大統領に就任し、ベトナム戦争が激化、人類がはじめて月に降り立ち、ヒッピー・ムーヴメントの中でロック・ミュージックが輝きをはなっていた最後の年だ。映画史的な視点では、ニューシネマの風に吹かれて、ワイルド・バンチが倒れ、馬がハーレーに変わり、真夜中のカーボーイがウエスタン・ハットを捨てた年である。黄金期の終わり。まさに激動の時代。そして、不穏な気配と共に破局が歩み寄ってきた時代・・・。


Trip to Los Angeles & Universal Studios June 1969

 本作の主人公は、そんな「時代の空気」である。もっと言えば、「何かが大きく変わっていく時代の空気」ということになるのかもしれない。(リックは西部劇終焉の年を生きる西部劇俳優として、時代の変わり目を象徴するようなキャラクターだ。)その意味では、「Good Bye 70's... Hello 80's!」と宣言し、ひとりの男の自殺で80年代の幕を開けて見せた1997年の大傑作『ブギーナイツ』とも反響しているように思える。いずれの作品も、舞台となる時代こそ違えど、ディケイドの狭間の奇妙な空気感を閉じ込めている。


Boogie Nights - Do Your Thing

 主人公が「ある個人」でない、どころか人間ですらない以上、ドラマ性は一気に希薄化せざるを得ない。そして、本作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はやはり、全体としてある一貫したストーリーを構築することはなく、ドラマの起伏も少ない。単に、シーンが点在しているだけのような印象すらある。これは観る人によってはマイナス・ポイントになりかねない。

 しかし、私は、これは本作の達成であると言いたい。タランティーノは映像の力を信じ切ったのだ。信じて信じてやまなかったのだ。だからこそ、映像があまりにも魅力的ならば、ストーリーが後景に退いたとて、観客の集中力は161分の長尺に耐え得るなどという狂気じみた映画作りが出来たのだろう。事実、完成した作品には飽きる隙などない。すべてのカット、すべてのシーンが69年当時の香りを発散し、観客はただただそれに酔いしれることになる。

 ただ、本作はストーリーを放棄したわけではない。本作を鑑賞するとき、史実としての「シャロン・テート惨殺事件」が強烈なストーリー性を持って我々観客に意識されている。そもそも、歴史historyと物語storyとはラテン語のhistoría(歴史、物語)を語源とする姉妹語だ。マンソン・ファミリーによる「シャロン・テート惨殺事件」はいわば本作におけるhistoríaとして映画全体を覆う核となり、作品の収束点として、タイム・サスペンス的に観客の緊張感を維持する。(その意味で、確実にこの事件を予備知識として持っている必要がある。)


California Dreamin' | Once Upon a Time in Hollywood OST

 そして、「史実」という絶対的なストーリーの力は、幸福な映像に有無を言わさず侵食してくる。特に、ブラッド・ピット演じるスタントマンのクリフ・ブースがマンソン・ファミリーの住む「スパーン映画牧場」に迷い込むシーンは、コミカルさはあるものの、来たるべき破局への道筋がはっきりと意識される瞬間である。さらに、本作ではマーゴット・ロビー演じるシャロン・テートがあまりにも魅力的なキャラクターとして描かれるため、悲劇性はより強調される。

 69年当時のボストン・グローヴ紙には、「暴力が感染するのならば、非暴力もまた感染するのだ。しかも笑顔とともに」という文言が記載された。しかし、笑顔と共に感染したラヴ・アンド・ピースにはやはりどこか無理があったのだ。「ウッドストック・フェスティバル」の4ヶ月後には「オルタモントの悲劇」が起きた。なんの皮肉か、非暴力は暴力へと変転していった。チャールズ・マンソンLSDで少女たちを洗脳した。笑顔で暴力が感染していった。そして、とうとう「ファミリー」は凶行に及んだ。


You Keep Me Hangin' On (Quentin Tarantino Edit) | Once Upon a Time in Hollywood OST

 だが、タランティーノは最後まで映像の力を信じていた。映画終盤、奇跡が起こるのだ。historía(歴史、物語)は映像、映画の力によって粉砕され、火炎放射器で燃やし尽くされる。幸福な映像が、他のすべてを押しのけて、再び主役に躍り出る。これは、映像を、そして映画を愛するすべての人への祝福だ。シャロン・テートを演じるマーゴット・ロビーが、本物のシャロン・テートの出演した映画を観ながら周囲の観客と笑った、あの涙の出るような美しいシーンが鮮やかに思い出される。そこに「確かに人間が生きていた」時代の空気が広がっていく。そして、映像と共に幸福が感染していく。これこそ、映像の力を信じ続けた人間にしか成し得ない奇跡であり、これこそが真の映像賛歌だ。そして何より、これこそが真の映画であると、私は言いたい。