はじめのあいさつ

私の願いは常に「圧倒されること」であって、西田幾多郎の言う「純粋経験」を知ることである。それが変わることは、これまでもこれからもおそらくないだろう。だから私は、映画や本、音楽を節操もなく貪って生きていくことにしたのである。数打ちゃ当たる戦法である。どこかに、「スゴイ」作品は必ずあるからだ。

しかし、西田の言うように、その感動を言葉にした途端、かけがえのない私の内奥の感覚は、希薄され洗浄され、つまらぬものとなってしまう。それはもはや「純粋」ではない。批評をするということはそういう犠牲を常に従えている。

ただ、形に残し、体系化することで新たな経験を生まれると、少なくとも私は信じている。また、他のひとにある経験を伝え、それが曲がりなりにもうまくいけば、その人もまた新たな経験をすることになるかもしれない。「圧倒される」経験は、自分の中だけにとっておくには、あまりにも勿体ない。

よって、今日からブログを始めてみた。このご時世、ブログなど前時代のものかもしれない。しかし、やはり強力な媒体であることは疑いない。このSNS時代においてさえ、なおもブログが廃れずに生き残っているのはそういう訳ではなかろうか。

このブログの本分は私の「純粋経験」を、その純粋性をできる限り保ったままの状態で書き記すことにある。映画でも本でも音楽でも何でもかまわない。とにかくここに記す。数打ちゃ当たる戦法はまだまだ健在だ。